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とある機関誌への寄稿文・改

2015年秋、鹿児島県で国民文化祭が開催された。全国各地からアマチュアを中心とした文化団体や愛好者が集まり、各種文化活動の成果を発表・競演・交流する、国内最大の文化の祭典、それが国民文化祭だ。1986年から各都道府県持ち回りで開催されており、鹿児島県での開催は第30回の節目となる大会となった。

光栄なことに、私は「アイドル進化論。」という鹿屋市主催の国文祭事業に企画・原案から携わらせていただき、ポップカルチャーフェスティバルという国文祭では異色の事業を展開する幸運を得た。さらに、公演の有料チケットは10分で完売、内容についても「けしからん、もっとやれ」「鹿屋、アタマおかしい」などと沢山の方からお褒めの言葉をいただいた。

しかし、国文祭の話をいただいたとき、私がまず思ったのは「何それ?」である。次に国文祭について調べていった際に感じたのが、「これ、おいしいの?」である。普段各市町村が展開する、いかにも「自治体がやってます」感満載の文化事業と何が違うのか、私にはピンと来なかった。

だから私は、「何それ?おいしいの?」状態の国文祭に1mmでもいいから風穴を開けたいという思いを胸に、 アニメやコスプレや痛車といった単語が踊るポップカルチャーフェスティバルを企画したのだが、正直この企画自体通ると思っていなかった。

さらに、実際に事業を展開していくにあたり、各方面からの批判も覚悟していたのだが、寧ろ関わる方ほとんどが面白がってくれて、何て鹿屋は、鹿児島は文化に寛容なんだと、ちょっと拍子抜けしたところである。

勘違いしないでほしいのだが、国文祭で数多く展開されてきた郷土芸能や伝統文化に根差した事業がつまらないと言っているのではない。逆だ。私も郷土芸能や日本舞踊や狂言などの公演に足を運んだことがあるが、そこにはいつも新たな発見と感動がある。

重要なことは、郷土芸能や伝統文化もある、最新のポップカルチャーもある、クラシックもあるしバンド演奏もある、手工芸からデジタルアートまであるといった“多様性”、そしてその多様性を受容する“寛容さ”ではないだろうか。

「アイドル進化論。」というポップカルチャーフェスティバルが輝くことができたのは、郷土芸能や伝統文化に根差した事業など、多種多様な文化があってこそ。奇抜に映るかもしれないオタクカルチャーを迎え入れてくれた寛容さだ。

「何それ?おいしいの?」と思っていた国民文化祭であったが、終わってみれば、鹿屋の、鹿児島の文化の多様性とそれを受け入れる寛容さを確認できた、つまり、文化の底力を再確認できた“神イベント”ではなかったか。

「多様性」と「寛容さ」を確保できるのなら、まだこの地に希望はある。

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